叶わぬ願い。神様はいないの?形は違えど結果オーライならそれが成就。心の置きどころ一つ。

心の置きどころ
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私が考える日本人の美徳。八百万やおよろずの神を崇める心の豊かさ。

神様は、神羅万象、全てにおいて宿られる。
そのように考える日本人の心を尊く美しいと思え
私は大好きなんです。私もそうありたいと願います。

キリスト様の生誕(の認識でいいのかな?)
クリスマスを祝い楽しんだ1週間の後には
旧年の感謝を捧げ、新年の無事と平安を祈念する初詣に。

お詣りを捧げる神様は、神仏・人物・自然…。
対象は様々です。(私は)
この大らかさが大好きです。

神様はこうでなければなりません。これ以外を神と考える事はなりません。
宗教、宗派によってはそのような考えもあるようです。
私は、そのお考えを否定する立場でもありません。
信仰をなされる方のそれぞれの考えに基づき
他者に強要すべきものではないと考えます。

私は特定の宗教を特に信仰している者ではありません。
強いて挙げれば、先祖を敬うための追善供養を宗派に則り
行っていただく程のことしか行っていません。

無意識に属している感覚でしょうか。

苦境に直面した時に、苦しい時の神頼みと申しますよね。
【苦しい時の神頼み】を積極的に行う、私は心弱い人間です。

到底、
自分自身で苦境を乗り越えるんだ等、自信など持ち合わせておりません。

初詣をさせていただいた神社の神様。
お山の神様、登山で出会った山岳信仰の神様、お稲荷様、龍神様。
その時々に訪れた神社やお寺で、流儀や作法も知らず
多くの神様や仏様にお願いを好き勝手にさせていただきます。

お願いは、自分自身や近親の家族や身内の事ばかり。

私が行うお願い、お祈りというは行為は
神様、仏様に、安直に気休めを求めているのだと思います。

私の場合、目の前の病気の苦境からの逃れる為に
将来の見えぬ再発の不安から逃れる為に。

実に自分本位なお願いやお祈りで
自分自身や近親の家族の健康や安全を願うばかりです。

挙句の果てには、お詣りをさせていただいた帰りには
早や、苦境に対して、恐れたり、心配したり、悲しんだりする始末。

お願いする事で、
救われたい、助けられたい。そう願う依頼心。
弱々しい気持ちの現れなんですよね。

病気と闘うと決めて生まれ変わる気で臨む心がこれでは
病気に勝てる訳がないな。
そう思えるように少しなりました。

中村天風氏はこの様な心の状態を

あなた方の心は汚れている。そして、醜い、弱々しさを持っている。それというのも、当てにならないものを当てにして、救われようとか、助かろうとか、極めて、さもしい、気の弱い、哀れな、依存心の強い気持ちで、それを信仰と名づけているからである。

運命を拓く 天風瞑想録 序章 朝旦偈辞より
運命を拓く (講談社文庫)
運命を拓く (講談社文庫)

この様に厳しく指摘されます。

確かにお祈りという形に乗じて自身のエゴを叶えてもらおうとしているのかも知れません。
そのお祈りの対象が、神様・仏様・各宗教の創始者、人それぞれです。

今は、中村天風氏のご指摘を伺っておくことしか出来ません。
今すぐ、そうだ!改めよう。との心境には至る事が出来ません。
でも、賜ったご指摘は、しっかりと認識しておきます。

神様へのお祈りやお願いを履き違えていることに気付いた出来事。

私は、天風氏の指摘を認識した後も、毎日の日課として、
「ご縁を頂けた!」と、勝手に思い、慕う神様に
自分自身の病気平癒と家族の健康を願い
心の中でのお祈りを行っています。
日々感じた不安を解消していただきたいと
作法や流儀などなく、勝手なお祈りをしています。

長女の妊娠を知った時から、
無事の出産、安産をお祈りに加えさせていただきました。

里帰りしている長女は予定日を過ぎても一向に産気づきません。
リミットが迫り入院の運びに。

夜中の2時前、病院より入電。
「出産が難航しています。帝王切開を行いますので、急ぎ、病院にお越しください」

妻と向かう病院への道中。
車を運転しながら、娘と赤ちゃんへの心配。
それと、罰当たりを覚悟の上お話させていただくと
「何故?妊娠がわかってからの数か月、ずっとお祈りしてきたのに…」
複雑な思いで一杯です。

病院に到着。
娘は頻出する陣痛に絶叫しています。
ですが、娘の体の態勢が整わないみたいで、
先生より、帝王切開の決断を聞かされました。

待合室で妻と過ごす時間。
妻には申し訳ないのですが、頭の中は
何故?何故?
「あれだけお願いしてきたのに何故?」
妻の不安を解消してあげる事が出来ません。

「勝手な信仰では、お願いやお祈りは叶わないんだな。
修行を積まないと願いを聞き入れてくれないのか…」
恨み節の感情さえ芽生えてしまいました。

私自身の「病気平癒へのお願いもそんなものなんだな…」
少し怖い思いにも駆られました。

明るいはずの待合室がどんより暗く思えます。
待つ事1時間程。

看護師さんが、赤ちゃんを連れて来てくれました。
姿が全く見えない離れた所から、確かに発せられた
「おめでとうございまーす。」
の声と共に。
柄にもなくこの演出?感動してるんです。

ちなみに、娘が出産したこの病院。
私の悪性リンパ腫の治療を行っていただいている総合医療センターです。
私はお世話頂いていたこちらの看護師さん達全員が大好きです。

そして、やはり産婦人科の方々も心温かい人でした。
娘には、私がお薦めしたんです。
病室の良さ、看護師さんのお人柄等など。

生まれたての赤ちゃんとの面会。
本来ならば、コロナ感染予防の為
例え、出産時でも面会や立ち合いは禁止措置の期間の中です。

でも、私たち、新米おばあさんとおじいさんは
うれしい事に、有難いことに
生まれてすぐの姿とご対面させてもらえたのです。

これから共にする新しい命と真っ先にご対面させていただけたのです。

ここで、ふと、気付いたんです。

お祈りをする事で、お願いをする事で、
私は完全にその見返りとして
【心願成就】が自分の思い描く形で叶えられる。
勝手にそう期待していただけなんだと気付いたんです。

安産(通常分娩)で、痛み少なく出産してほしい。
わたしが勝手にそう思い込んでいただけなんです。
帝王切開は異常事態だと、勝手に決めつけていただけなのです。

私は、神様に、娘と赤ちゃんの無事を、安産をお祈りしていたのです。

それは、帝王切開という方法で叶えられたのです。
確かに、異常事態ではあるのかも知れません。
でも、娘も無事と、元気で可愛い赤ちゃんをお孫ちゃんを
与えていただけたのです。

元気なお孫ちゃんを見て安堵した途端、
「これで良かったのかもしれない。」
心からそう思えたのです。

結果オーライ。これでいい。心の置きどころ一つで叶う願い。

結局は、お祈りもお願いも
心の置きどころ一つ。
例え、途中に、紆余曲折、想定外の事があろうとも
願いが叶わなかったと嘆くことなく
あくまでも、心願成就に向けた途中なんだと思い直し、負ける事無く歩み続ける。
願いが叶わなかったのではない。
叶うまでの、今はまだ途中なんだ。

私は、自身が患う悪性リンパ腫を
このまま再発することなく、平癒する事を願っています。

願いを突き詰めれば、いずれ平癒できれば有難いのです。
お孫ちゃんの成長を、どんな形であれ、見守る事が出来れば有難いのです。

途中、例え再発する事があったとしても
その病気に事態に向かい合い、治療をきっちり受け入れられる体調を維持し
治療と共に自分自身で行える病気との闘いを挑み
病気を乗り越える努力を行う。

そしてある時に平癒させていただければいいのです。

100%思う形で、願う形で、心願が叶う事が成就ではない。
成就の形を、あるべき姿を、私が思い描けなかっただけなんです。

娘は、陣痛に加え、手術後の痛みも味わうことになりました。
でも体は有難くも、元気でお産を乗り越える事が出来ました。
少し余分な痛みを負っただけで
可愛い赤ちゃんを授かることが出来たのです。

私はこれ以上の結果を祈りお願いしていたのだろうか。
これ以上の何かを望んでいたでしょうか。

思い描いた形と、ほんの少し違っただけ。
わたしの出産に対する想像が乏しかっただけ。

神様、ありがとうございました。
娘の無事と赤ちゃんの無事。
私はこれ以上の結果を望んでいた訳ではありません。

この様な自分に都合の良い解釈ではありますが、
中村天風さんの教えである、心を前向きに維持すること。
この大切さを、奇しくも、娘の出産の出来事を通して
改めて大切だとおもいしりました。

この解釈に間違いがあると、教えを伝承されている方々に申し訳ないのですが
中村天風さん教えを私なりの解釈で
病気との闘いの武器として、心を強くするために
これからも愛読していく所存です。

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