中村天風に学ぶ。心と体は別なんだから、体は病気でも心は元気に。心の置きどころ一つ。

心の置きどころ
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心と体は別なのかな。

病気になると、大抵の人は心が弱気になってしまいますよね。
心配したり、悲観したり、怖いと思ったり。

しんどいと感じるのは、痛いと感じるのは何でなんだろう?

しんどいと感じる事、痛いと感じる事、怖いと感じる事。
おそらくは、頭、脳がそのように指令を出しているんでしょう。

しんどい とか 痛みは、感情や思考とは違うと私は思うんです。
何という言葉が適しているのかはわかりませんが、感覚ですよね。

逆に、病気になって、将来に対する心配や悲観は感覚とは違いますよね。
思考や想像の世界ですよね。

話は変わります。

私は、2019年11月悪性リンパ腫との診断を受けました。

2019年9月頃
身体の異変には気が付いていましたが、悪性リンパ腫とは思いもしませんでした。

悪性リンパ腫との診断を受けるまでの2か月の間、
振り返れば、疲れやすくはありましたが
同時並行で、仕事は、極度の多忙。

生産システムを新規導入頂き、システムの最適稼働設定を出すため
連日、トライ&エラーの繰り返し。
それこそ、睡眠時間は、有っても4時間あるか否かの日も少なくありません。

それでも日々、仕事に邁進することが出来ていたんです。

それは、発病して間もなくの初期段階で
まだ身体へのダメージが少ないからなのかも知れません。

でも、後回しにしてしまうんです。
せっかく、体が発してくれたSOSを。
わざと見逃してしまうんです。

私がこの後とんでもない事になってしまったのは
病気を甘く見過ぎたせい。

でも、思い起こすと、病院に通い始めるまでは
体は日常の活動に耐えていられたんです。

病と認識したとたんに、分かったとたんに
も~駄目。そうなってしまうんです。
しんどさは、倍にも3倍にも。10倍にも感じられました。

経験ありませんか?
体温測定をして、38度を超えていると分かったとたん
急にしんどくなるパーターン。
まさに同じです。

何をお伝えしたいのか。

体と心は別だと思うのです。

体が病んでいても、心が元気なら、体の病に気が付かない。
心が弱気になると、体も一気に弱ってしまう。

心の栄養に出会う。中村天風さんの教え。

心が元気なら、苦しい事、つらい事も乗り越えられるのかな?

病床でふと思いついた事なんです。

すると、
出会うんです。

神様のお導きなのか、
Googleさんが凄いのか?
(私がそのような検索をしていたの?)
サイトの片隅に記載されている事柄に目が留まるんです。

中村天風さん (1876-1968年/享年92歳) といい
松下幸之助氏や稲森和夫氏など
日本の政財界の名だたるリーダーたちが、こぞって師事し影響を与え続けた方。
今も多くの方に受け継がれる、人生哲学の第一人者の一言に。

我々の生命の中にある肉体や精神
人生に起こる事象の一切は、
心の運用いかんによって決定することが出来る。

人間の心で行う思考は、人生の一切を創る。

人生の一切は、健康であろうと運命であろうと
肉体も、心も、また環境も
すべてが人の心によって創られているものである。

運命を拓く 中村天風 講談社文庫より

と、中村天風氏は悟られ、数々の教えを説かれておられます。

今の私の境地の先なのかも…

中村天風氏について、ごく簡単に触れておきますと
天風氏は日ロ戦争に軍事探偵(スパイ)として従事し活躍。

日本の勝利のうちに幕を閉じた頃
悪性の肺結核を患い、日本での医療では病状の好転が得れず、
キリスト教・禅など宗教に救いを求めたものの
その対応には腹が立つことばかり。

アメリカに渡り、医学を学ぶも救われる事無く、
その後、イギリスへ。

「神経療法」なる、心理学と神経学のセミナーに参加するも、結果は失望。
更に、フランス・ドイツに渡り、失意のどん底に。

帰国を決意し途についた最中、トラブルで待機を余儀なくされたエジプト。
そこでのヨガの聖者 カリアッパ師 との出会で弟子となり、帰国することなく
ヒマラヤの第三の高峰カンチェンジュンガのふもとの村でヨガ哲学の修行に。

ヨガ修行での激しい心的訓練の末、ヨガの核心に触れ、やがて結核を克服するに至る。

そののち、日本国内にて、
1968年に享年92歳まで、教えを説き、人々の心を救い導いた方なのです。

「心を積極的に保つ」をモチベーションに。病気と闘う武器とする。「心の置きどころ一つ」

天風氏の悟りには宗教的な色は一切なく
むしろ、宗教に依存する人の心を
「安直な気休めを人生に求め、信者と言えども相変わらず
怒ったり・悲しんだり・恐れたり、という日々を暮らしている。」と、揶揄気味なんです。

「先祖を敬い追善供養は必要である。」とされながら、
しかし、「信仰を突き詰めれば、
自分とごく近い家族の生命や運命の安全を請い願う事が目的の
自己本位的なもではないか。」
と説かれます。
私は天風氏の教えの全てを、もっともと肯定する立場にはありません。
しかし、確かになと思わざるを得ない指摘である事は認めます。

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私は、天風氏の本質を全く会得できていません。
それでも、その時々に、心に響いた言葉。
心を積極的に保つことこそが何よりも重要。
自分なりに胸に留め、モチベーションとして悪性リンパ腫と闘うのです。

私は神様への信仰は捨てません。
病気になったことで、有難い気付きに多く出会うことができました。
この天風氏の教えもそう。
その他、健康に良いと思われる取り組みもそう。

出会いをお導きと信じ、感謝し、心を積極的に保つ。
自分の身に何が有ろうと、
消極的に物事を思ったり考えたりはしない。

先ずは、この考え方を実践し
悪性リンパ腫と闘う、私の武器の一つとするのです。

「心の置きどころ一つ」
で出来る事なんです。

~ End ~

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