心からの感謝。一般病棟に戻ることが出来たのです。

病気平癒を誓う
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意識の無かった1週間。それでも体は回復してくれたんです。

2019年
12月上旬

本当に感謝です。一般病棟に戻ることが出来たんです。

ただ、明確な記憶が残っている訳ではありません。

脾臓破裂から始まった、怒涛の1週間。
この間の記憶は全く無く、痛かったのか、苦しかったのか、どうだったんだろうか?
幸か不幸か、意識不明状態だったのですから仕方ありません。

一般病棟に戻れたこの辺りの記憶も定かではないのです。
意識は回復し、妻とは、ろれつが怪しいながらも会話はしていたそうなんですが
記憶が残っていません…。

緊急入院から2週間が過ぎても、
まだ、悪性リンパ腫の本格的な抗がん剤化学療法に着手できません。
受け入れる体のコンディションが整っていません。

整うどころか、むしろ、死の淵を彷徨ったボロボロの状態。
今、振り返り思う事は、良くもコンディションが整ってくれたなと。
とにかく感謝の二文字以外、浮かぶ言葉がありません。

血液内科の部長先生は、
「どうしてこんなことになる前に、気づいてあげれなかったのか。」
「同じ医療人として、初めにかかった近所の診療所の対応を謝ります。」と、
妻に頭を下げてくれたそうです。

悪性リンパ腫は、
抗がん剤治療が良く効く病気ではあるらしいのですが、
私のは進行が比較的早いタイプの型。
治療に耐える体に戻るまで、手も足も出せないそうです。

でも、ただ待っている訳にもいかず、
ステロイド剤(CHOP療法のP プレドニンではなくデキサート)の点滴で
つなぎの治療を行って頂きました。

何で脳の検査を?

体力回復を計るこの間、造影剤CT検査や胃カメラ検。
脳の検査まで行いました。
この頃の記憶はかなり残っています。

脳の検査?何で?

脳波や机上でのテスト。
今日は何月何日ですか?赤色はどれですか?
何色かのドットの中に見える数字を言ってみたり
大きさの比較など。
失礼ながら、何と幼稚なと思えるテストです。

ですが、物が6個7個並んでいる順番を覚え、それを復唱したり
2桁の足し算等。
ん?何で?出来ない…恥ずかし~ぃ
笑ってごまかす事も…

実はまだ、自分に何があったのか全く知らなかったのです。
看護師さんをはじめ、妻も何も言ってくれておらず、知る由もありません。

私としては単に体がつらくて
むさぼり寝ていた感じ。
脾臓破裂から既に10日以上が経過しているのですがその感覚は全くありません。
ほんの数日ぐらいの感覚。時間の感覚は麻痺していました。

心臓停止などの影響により脳に障害が起きていないか
丹念に調べてくれていたんです。

足が動きにくい感じはわかっていましたが、
体調は相当悪く、熱も常時、38度以上が当たり前の状態。
染みついた習性なのでしょう。しんどいせい。
はい、解決…。

動けないので、尿道に管を通して尿を排出。
食事がとれないので常時点滴。
体の酸素濃度が低いのでしょう。口と鼻を覆う酸素吸入をさせられるのですが
マスクの素材、ゴムなのかプラスチックなのか、
その匂いが駄目で、鼻に管を入れての酸素注入。

やはり、元気が少しでも出てくるとわがままになるもんですね。(笑)

病気と闘う決意。治療だけでなく、私にできる事で!

廃用症候群に対するリハビリテーションも早々に行われていました。
骨格筋系統・循環器/呼吸器系統・内分泌/代謝系統・精神神経系統等、
様々な臓器に影響が及ぶ廃用症候群。
何もしなければ、日常生活の自立度が低下してしまいます。

早く動けるようになり、せめて、トイレだけでも自立せねば。
そうは思うものの、全く動けない日は続きます。

いつ頃から口から食べる食事が始まったか定かではありませんが、
食事を食べるようになったことで
日増しに状況は良くなっている実感を感じていました。

妻からお願いされた事。
ほんの少しでもいいから、必ず毎食、食べれるだけ食べて。
口から食べれば、絶対元気になれるから。

そんな言葉、普段なら何も心に響かないんです。でも、素直に聞けました。
私に出来る病気との闘い。
毎食、何が有ろうとも必ず完食してみせる。】
妻からの一言で、私と病気との闘いが始まりました。

食べる事で病気と闘い、絶対に勝つ!
そんな欲求と強い意志が芽生えてきました。

嘘みたいなんですが、食べる事で、みるみる体調は回復してきました。
辛い時も多々ありましたが、こっちは必死。
看護師さんからも無理しないでねと言われながらも完食を継続。

本格的な治療のはじまり。

ステロイド剤(CHOP療法のP デキサート)の点滴でのつなぎ治療。
その効果のおかげなのか、闘うと決め、挑んだ食事摂取のおかげなのか、
血液検査の数値は幾ばくか改善され、少しの時間稼ぎができていたようです。

一般病棟に戻り、1週間程が過ぎた、
12月中旬
ようやく
各薬剤を減量してのCHOP療法(P デキサート抜き)1回目の点滴が開始されました。

幸いにも、効果は血液検査に現れ、
2000以上有ったLDHの値は800前後迄下がり
「抗がん剤の効果が認められる、治してあげられる。」と、
妻は、うれしい報告を頂き、
その時の先生を 神 様 みたいだったと振り返り、
今でも 神 神 とあがめています。
(残念ながら、全ての方が抗がん剤治療において、同じ効果を享受できる訳ではなく、
 抗がん剤が効きやすい方、そうでない方、効き方には違いがあるそうです。) 
 

その後、10日ほどのインターバルをとり、
12月下旬
1回目の分子標的薬(R リツキシマブ)の点滴も開始されました。

アレルギー反応が出る薬剤らしく、
打ち始めは極少量ずつ、様子を見ながら徐々に注入量を増やしながら
慎重に8時間ぐらいをかけて点滴は行われました。
有難くも何の異常も現れずスムーズに完了。

その3日後、
定量でのCHOP療法の点滴。

なんだかんだあり、
結局本格的な治療を開始するのに1か月の期間を要しましたが、

これを境に、標準治療としての、R-CHOP療法が始まりました。

先生方の治療、抗がん剤の効果で
私は命を繋ぎとめる事ができたようです。

しかし、ここで、私にとって、大きな問題が顕在化したんです。
 

~ To be continued ~

えっ ⁈ 立てない ! 足が動かない ! どうゆうこと … まじか
緊急入院からこのかた、ほんの半月余り。私の足はほぼ動きません。鉄のように重たく感じるのです。意識も無く過ごしたこの間の経過を妻から聞いた私は、足が不自由である事の不安も吹き飛び、清らかな気持ちになれたのです。克服する強い気持ちと共に。

おわりに

お伝えさせて頂きたい事があります。
私が実感したことなのですがお伝えさせてください。

私は医療に従事する人間ではありません。
医療的根拠のある話かどうかもわかりません。

もし、がん治療や他の病気の治療で苦しんでおられる方の中で、
食事が許されている方にお伝えさせて頂きたいのです。

病院で出される食事を
言い訳的な理由をつけて、お召し上がりを拒まれる方
少ししか食べておられない方

少なくは無いと思っています。
味が…、気分が悪い、食欲がない…

私の入院中にもそのような方はたくさんいらっしゃいました。
おいしくないだとか、さっきパンを食べたところだからとか…。

そんな理屈で食事を食べない事だけはやめて下さい。
食事は病気との立派な戦い(勝ち負け、優劣を競う)
私はそう思います。
罹患者がお医者様と一緒に、治療という戦法で戦う以外で、
己自身が、自分の意志で、病気と闘う(困難に打ち勝つ)戦法であることを知って下さい。

病気とは戦わなくてはならないんです。
勝たなければならないのです。

ですから、病院で出していただいた食事は、
私たちに与えられた病気と闘う武器となり得る事と知って下さい。

私がそうであったのならば、
きっと、病気で苦しんでおられる皆様も
そうであると信じます。
そうであると願います。

無理のない範囲で、でも、完食を目指してどうか戦って下さい。
吐いたら、せっかくのお薬がだいなしになってしまいます。

吐き戻ししない範囲で、是非、病気と闘ってほしいと願います。

闘う術は、食事だけではありません。
心が負けていると話になりません。
心が負けそうならば、栄養となる言葉を噛みしめて
鍛えなければならないのです。
自分で闘える戦法となるはずです。

中村天風に学ぶ。心と体は別なんだから、体は病気でも心は元気に。心の置きどころ一つ。
体は病気に病んでも、心まで病む必要は無い。言うは易く行うは難し。体が病めば悲観するし心配もしますよね。誰しもきっとそうなんです。でも…敢えて、でも、悲観しても心配しても病状が軽くなる訳でもなく、治るわけでもない。冷静に考えればですけど。

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