2019年が悪い年ではなかったと言えるように
2019年、色々ありました。
仕事もそう。病気もそう。
正直、自分がガンを患うなんて、夢にも思いません。
でも、有難い事に、激変した病状悪化の前後の記憶が残っていません。
悪性リンパ腫の影響なのか、
脾臓動脈や肝臓、十二指腸からの出血。
緊急の止血手術。そして心停止。
幸いにも心臓の鼓動は再開してくれましたが、腎臓機能不全。
意識が無い間に色々な病気に襲われました。
ごめんなさい。不謹慎を覚悟の上で敢えて申し上げると
人工呼吸器を装着され、透析され、体中に管がつながれた状態の私。
俯瞰的に見たら何を思う?
希望を持てるのか?諦めの境地に陥るのか?
そんな状態だったことが嘘の様で信じられません。
家族・親族には本当に心配を掛けてしまいました。
一部始終を見守ってくれた妻や家族。
妻は先生から、
「お別れになるかも知れないので、お別れをなされる方には集まってもらって下さい」
平たく言えば 「死ぬかもしれない」 そんな事まで言われたんです。
そんな病状であった私。
根拠はありませんが、怖い体験を一切感じていない為でしょうか
希望しかありません。
悪性リンパ腫がどれほど恐ろしい病気なのかも未だわかっていません。
そんな私。噓みたいですが
1か月後には、とにかく早くオムツから卒業したい。
その一心でリハビリに取り組んでいます。
起きてしまった事をどうこう言ったところで、
嘆いたところで状況が改善される訳ではありません。
今の状況を改善するためには
一歩でも半歩でも、例え僅かであっても、前に進むしかありません。
意識がハッキリしだしてから、足が動かない事に気づき
まだ満足に動くとは言うには程遠い状況ですが
蟻の歩みだとしても、確実に前進している事を実感できています。
今年も残すところあとわずか。
『頑張った‼』
そう言って、本年を終えよう。
これは、私が勝手に思いついた考え。
体のコンディションが整わなければ、満足いく治療が受けられない。
そうであるならば、今の自分に何が出来るのか。
妻からの唯一のお願い。
『出されたご飯は出来る限り全部食べる。』
今はこれしか出来ません。
日々の先生との会話の中で
「年内あと1回、抗がん剤打てればねー…」
そんな言葉が漏れました。
俄然やる気が出てきます。
でも、こればっかりは
気合で乗り越える事は出来ません。
体の受入態勢が必要となるんです。
数日おきの血液検査がその答えなんでしょう。
食べる事しか出来ません。
だから、残さず全てをいただきます。
有難い事に、
年内最終の診療日に
2回目のCHOP療法を行える事になりました。
2回目の抗がん剤の点滴で思ったこと
入院中の方で、抗がん剤の点滴治療に限らず、点滴を多用される患者さんは
常に針が刺さった状態で、日々を過ごされているのではないでしょうかね。
ですから、抗がん剤の点滴を受ける側の身としては、何てことないんです。
管がつながっているか否か。
薬剤の種類が多くて、点滴の時間が長いだけ。
でも、抗がん剤になると、準備をして頂く看護師さんの装いが全く異なります。
少し異様です。
ナース服の上から、使い捨ての防護服みたいなのを覆い
顔面を覆うシールドを着用されて点滴を行ってくれるんです。
薬の確認も、二人の看護師さんにより、厳格に行われています。
普段の点滴は、薬なのか水分や栄養補給の簡単なものなのか?
薬の点滴は二重確認が励行されているのかな…。
何で?
意識が明瞭になると、色々疑問に思うことが増えてきます。
初めに思った事。想像した事。
抗がん剤だから、いつも以上に清潔を保ってくれているのかな…。
薬の二重の確認はわかるにしても
管を繋ぐ作業に、わざわざそんな重装備で行うのは大そう過ぎませんか…。
いつものベットに横たわっているだけ。環境は変わりません。
となると、私の為、清潔の為ではなさそうです。
処置中に話しかける事は
ヒューマンエラーにつながるだろうと思い話しかけません。
滴下量をコントロールする装置を繋ぎ点滴開始。
「どうしてそんな重装備になるの」
早速の質問。
『薬剤が漏れて皮膚に付着する事を防止する為ですよ』
そうなんだ、そんな薬なんだ。
そんな薬を体に入れるんだ・・・。
看護師さんの体に付着したら駄目なものを、血管に直接入れるって、どうよ・・・
健康な看護師さんが
体に付かない様に細心の注意を払って取り扱う薬。
毒って事か?
体に入れて大丈夫なのか?
色々な疑問や不安が頭を巡ります。
齢、50を超え、
悪性リンパ腫とは知らずとは言え
死にかけるまで放置していた人間が
何をおめおめと。
治す為に治療を施していただいている。
今はそれが全て。
体に入れられるものが、例え、ある人にとっては毒であっても
私にとっては命を繋いでくれる貴重な薬。
私の体中に蔓延ったガンをやっつけてくれる薬。
疑心暗鬼になる必要はありません。
主治医先生も看護師さんも家族も
皆がガンをやっつけるんだ!治すんだ !!
同じ方向を見てくれています。
私は心から有難いと思える、大船に乗船させていただいているのです。
大船に乗ったつもりではありません。
大船に乗船し、出航し、嵐を乗り越えて来たんです。
(私はただ意識なく寝ていただけなんですが…。)
そして、どうにかこうにか、今や穏やかな海原までたどり着いたのです。
お薬は有難く受入させていただきましょう。
心からそう思えます。
1回目のCHOP療法は、体の状態を勘案して
薬の成分を減量して施していただきました。
今回の2回目は規定量にて実施です。
何の異常も無く、いつもの点滴って感じで終わりました。
抗がん剤治療は、何か大変しんどそうなイメージ。
こんなもんでは済まないんだろうな…
何が起きるのかな?
年内の抗がん剤治療は終了。リハビリはどこまで進めるのか。
リハビリは残念ながら、PT(理学療養士)さんの事情で
年内のトレーニングがフェードアウトした感じになってしまいました。
年始の開始もゆっくり目。色々事情もあるでしょう。
内心は焦りますが、自分で出来る事は沢山あります。
私の場合、年末年始の気分に浸っている場合ではありませんし
そんな心境になれる環境でもありません。
自主トレーニングにより、
足をベットから下す事が何とか出来るようになったばっかりです。
足を下すまでは一苦労ですが、回数をこなすうちに
自分なりにもスムーズに下せるようになった実感を得る事が出来ます。
足を下ろして、ベットに座った状態で
膝から下の足を出来るだけ水平になるまで上げたいのですが
上がりません。
それでも片足10回づつ自分なりの精いっぱいの位置まで上げる
というよりも浮かす感じ。それでも、数日前にはできなかった事。
次は、足の付け根から太ももを上げる運動。
なかなか足が上がりません。
こんなにも足が重たい物なのか…
継続は力なり。
2回目のCHOP療法の副作用も気になる所ですが
思い出したら、もぞもぞ動き出して、足を下ろして
自主トレ開始。
左右の足を比べると
どうしてか右足に力が入りにくい感じを受けます。
足の上り方が左に比べて低いですし、力が入りにくいです。
それでも、人間の力なのか筋肉なのか。
何が原動力かは解りませんが、次第に上がって来るんです。
力を入れる辛さ加減は増しますが
足の上がる高さが少しづつでも上がるんです。
足が上がり始めると
俄然、ベット回りでの動きが楽になります。
足をベットから足を下す動作が
苦労なく下せるようになりました。
寝ながら、足を拡げる運動も
信じられないぐらい楽に出来るようになります。
これがなかなか難しい動作だったのですが嘘みたいです。
で、また足上げの運動を行うと
またこれが上がりだすのです。
足上げの回数が増えるに連れて徐々に下がっては来ますが
上げ始めは太ももが体に近づくまでになりました。
自力でベットから足を下ろせた時から
絶対に立てて歩けるようになれる。
そんな思いを抱くに無理はなかったのですが
今や確信に変わってきました。
そんな心持での自主トレの最中。
ふと、頭によぎったのです。
『もう立てるよ』
誤解を恐れずに恥ずかしげも無く正直に書かせていただきます。
私は霊感など一切感じない鈍感な男です。
でも、この感覚だけは神様からのお告げを頂いた感じ。
お告げを感じられた感じ。
立てるかも?
すっと立つ事が出来ました。
怖くて立ったまま、足を動かすことは出来ませんでしたが
確かに立ち上がっています。
今にも絶叫したくなる感情をぐっと堪えて
とりあえず、恐る恐ると座ります。
まじか?夢か?
もう一度トライしたい気にかられましたが
とりあえず、横になってトレーニング終了。
心臓の鼓動が高まっているのを感じながら
嬉しさを噛みしめます。
次のトレーニングでも立てるかな
妻にはいつ見せようかな
どんなシチュエーションにしようかな・・・
年末に良い感触を得る事が出来ました。
大病を患った身ではあるものの
今あるのは希望のみ。
希望に満ち溢れた年の瀬。
来年を更に希望ある年にする為に
出来る事は何でもする。
治療に臨む体力作り。
不自由を解消する為の努力。
こんな事になってしまったのも自分のせい。
ならば自分で少しでも取り戻さなければ
自力本願を来年の抱負としよう。
~ To be continued ~
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