新聞奨学生の実態 ~1980年代中旬を振り返る~

新聞奨学生
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かれこれ、三十数年前の話になりますが
私が新聞奨学生として過ごした当時の様子を
お伝えさせていただきたいと思います。

私の結論は、新聞奨学生をして良かった。
そう思っています。

しかし、それは純粋に奨学生としての経験を美化するものではありません。
そこで出会えた友人が素晴らしく
今でも私の人生に大きく影響を与えてくれている存在の友人。

おおよそ、月に1日しかない新聞休刊日。
毎日の業務が故に、制約のきつい大学生生活だったのですが、
その4年間をずっと支え協力してくれ
現在も私を支えてくれている妻の存在。

奨学生制度とは?などを云々言う事は致しません。

記憶に残る実際を交え
新聞奨学生をお考えの方に
私なりに、心構えをお伝えさせていただきたいと思います。

辛辣な評判の新聞奨学生制度。

病床で暇に飽かして、新聞奨学生をネット検索すると
辛辣なコメントを多く目にします。

でも、お考え下さい。
4年間の新聞奨学生制度は、
年収に換算すると300万円を超える労働を担いながら
学生としての生活を営まねばならないのです。
容易く得られる額ではなく、
それに見合う対価として、労役が伴う事を先ずは知って下さい。

新聞奨学生をお考えのみなさんは
甘い世界では無いだろうな…
一様に、この程度の認識はお持ちのようです。

でも、現実はそれ以上に過酷であった。
経験者が口にされる経験談の多くに代表される言葉です。
この言葉に恐怖を感じ
実際を知りたくて検索されているのだろうと推察します。

甘い世界ではない。
そもそも、この認識が甘いと言わざるを得ません。
聞くとするでは天と地程の開きがあるんですよ。
厳しく認識した つもり の甘い認識では
認識と現実のギャップが、過酷と感じてしまう原因なのです。

真冬の夜中、大雨の日。
チラシが多く入った重たい新聞を満載した自転車やカブ。
ハンドルはグラグラします。つるつるのタイヤ。地面は雨で滑ります。
たまらなく寒いです。雨で手袋はびしょ濡れ。
一瞬でかじかんでしまいます。
カッパの中にも容赦なく雨は入ってきます。

要は、先行して自分自身が描いた考えや思いがあって
その考えや思いと現実が合わないから、恐らくなんですが
挫折という結論に至ってしまうのではないしょうか。

新聞奨学生として
現実を経験して、壁にぶち当たって
その中で、自分の思考と行動を構築するしかないんです。

頭で想像できることなど、正直、表面的な事でしかありません。
上記のある業務の一面も、直面して感じなければ分かりません。
おそらくは業務の全てが初めて経験する事。

学生の本分は勉学であることは言うまでもありません
勤労学生となると、必ずしも、そうとは言い切れないのが現実です。

学生生活の付け足し程度の勤労(奨学生としての業務)と考えていると
間違い無く挫折するでしょう。
決して、そうではありませんから。

勤労学生になるということ。これは、少なくとも
勤労者の本分と学生の本分が等しくあるか
勤労が勉学よりも優勢になってしまうことが大いにあり得る
このことを認識して臨む必要があります。

販売店に勤務されて、生活を営まれている社員の方々と同じ仕事を
奨学生はこなさなければならないのです。
新聞奨学生制度として設けられている建前と
現場労働の大義は異なります。
たいていの場合、現場優先になる事を知った上で
新聞奨学生制度に挑まれることを
経験者としてアドバイスさせていただきます。

新聞奨学生の事務局に異を唱えたところで
恐らくは状況改善には至らないであろう事も
頭の片隅に置いておく必要があります。

要は、新聞奨学生としての期間は
あなた自身が二人分の人生を同時に歩む覚悟が必要であることを知って下さい。
数年だからゆえに、耐えて頑張らねばならないのです。

学生としてのあなた勤労者としてのあなた
二足の草鞋を履く!
この覚悟が絶対に必要なのです。

労働内容は単純作業でも任務は重大

各新聞社の英知が集結し作成される新聞紙面。
それが、巨大な印刷設備で印刷され各販売店に配送される。
多くの従事者により出来上がった新聞を最終読者にお届けする配達員。

新聞業に携わる全ての人は
読者にお届けしたい情報を紙面に構成してお伝えする事に集中します。
日々、全精力を傾け続けているのです。
有益な情報を一人でも多くの方にお読みいただく為に努力しているのです。

このようにして出来上がった新聞紙面を、
少しでも早く読者にお届けする最終ランナーたる新聞配達員。
遅滞なく必ずお届けすることが使命なのです。

出来上がった新聞は何が有ろうとも必ず読者にお届けする。

加えて、新聞には
各々の地域に根差して商売をされている様々な企業が
読者に訴求したい内容を、折り込み広告に託して
新聞販売店に、その配達を依頼されます。
販売店の大切な収入源です。
疎かに扱うことは許されません。

朝刊は、販売店の立地にもよるでしょうが
概ね、2時~遅くても3時半頃には販売店に到着します。

荷受けをして、配達エリア毎に部数分けを行い
前日に作り終えた広告の束を、一部一部、手作業で新聞に挟み込みます。
販売店が受け持つ、千を優に超えるであろう新聞の全てに
広告の束を挟み込むのです。
しかも、時間勝負。
ちんたらした作業をしているとそれは即反感につながります。

販売店に勤務されている従業員数も様々です。
人員の多い販売店。少ない販売店。
作業の内容と量は自ずと異なります。

それに異を唱えたところで仕方のない事です。

配属される販売店次第
天国も有れば地獄もあるのでしょう。
しかし、天国も地獄も、判断は自分自身が行うもの。
これが現実なんだと受け入れて、現実に即して対処するしかありません。

こうした多くの思いが詰まった新聞の束の完成です。

いざ、配達!

私の頃は、広告を挟み込み、束が完成すれば
晴の日でも雨の日でも、装備は異なりますが
カブ(バイク)に積み込んで出発です。

前かごには前が見えないぐらいまで、堆うずたかく積み込んだ新聞の束。
ハンドルは重たくて、それだけで不安定です。
後ろの荷台にも座高近くまで積み込んだ新聞。

慣れれば、どうってことのない作業でも
初めはおっかなびっくり、カブの運転すらままなりません。

最近では、雨の日の出発前に
新聞をビニールに完全包装する作業が加わるようですね。

これは大いなる進化です。

しかし、ビニール包装も、チラシを挟み込んだ紙面の束の機械への充填は手作業。
調べたところ、順調に進んで約80部/分らしいです。
想像ですが、チラシの束を作る機械も一筋縄ではいきません。
紙づまりや送り圧力の設定など、不具合が多発する事が容易に想像できます。

当時の記憶。雨の日は闘いとしか表現のしようがありません。
配達時間を落とさず、如何に新聞を濡らさないか。
販売店に用意されているビニールより大きなビニールを自己調達してみたり
考えられる工夫を施し、とにかく、大切な新聞を濡れから守らねばなりません

完全包装されていれば、少なくとも、濡れの懸念は解消されるでしょうが
経験的に、後ろの荷受けに積んだ新聞の束が滑らないか心配です。
荷崩れには注意が必要でしょうね。

私は、朝刊の場合、カブで2区域、約300部を優に超える部数を
2時間弱で配り終えます。
住宅地であれば無理な数字ではありませんが
普通に配って達成できる数字でもありませんでした。

配達時間は、挟み込む広告の量にもよるのです。
広告が多い日は、一度に積める部数が少なくなり
途中、販売店に取りに帰らねばなりません。

三十数年前、バブル景気に沸く好景気。
金曜、土曜、日曜の折り込み広告の量が半端なく多い。

如何に、多くの部数を積んで、半端なく重たいハンドルで
バランスを維持し安定して早く運転し配達できるか。
これも個人の能力に依るところでしょう。

夕刊では同じ地区を実配達時間で1時間20分程。
(配達エリアまでの移動時間は含みません)
朝刊配達と比べ30分程は早く配り終える事が可能です。
団地やマンションは集合ポストへの配達でOKでした。

夕刊はどうしても履修の影響もあり
週の内、数日は出発が遅くなる日が生じていました。

私が所属していた販売店で、夕刊とは言え
300部を超える部数を1時間20分程で
配達できる人はいませんでした。

言葉は悪いですが、そういった努力と実績で
配達が遅くなる日が生じても、極力文句を言わせない自分のポジションを作るように
心掛けして行動をしました。

その他の業務

朝刊配達の後、お客様から不配(配り忘れ)の連絡が入れば
電話代のお返しとして10円硬貨を専用の袋に入れて
新聞を持ってお客様宅にお詫びに伺う業務を
奨学生の業務としてではなく
別アルバイトとして、2時間程、一日1,000円程だったかな…。
時給にすれば500円ぐらいをいただいていました。
80年代半ばの最低賃金は都市部で460円程。
悪くはない額でした。

奨学生は、朝食・夕食の提供を受けられると記載がありましたが
私が勤務する販売店では、それはありませんでした。
不配対応のアルバイトの日には、パン代を別途500円程頂いて
好きなパンや食べ物を買わせていただきました。

夕刊配達の後、奨学生の業務として、折り込み広告の束を作成する業務がありますが
私の所属する販売店では、折り込み広告の束を作成するパートさんが雇われており
奨学生にその業務は求められませんでした。

基本、夕刊配達が終わればその日の業務は終了。
日により、販売店で社員さんや他の奨学生と歓談している間に
不配の連絡が入れば、それは奨学生が動かねばなりません。
クラブ活動でも同じこと。下っ端は率先して動くことは鉄則です。

あと、集金業務に関しても
奨学生にその業務を求められることはありませんでした。

ですが、私は、重宝?されており
集金のパートさんが辞められた時など、次の人が見つかるまでの間
つなぎ的に、別途アルバイト代を頂いて、集金業務も行いました。
どうしても会えないお客さまや、お支払いを渋られるお客様などは
社員さんが集金を行ってくれるので
比較的簡単に集金が行えるお客様を対象とした集金業務でした。

生活環境

文化住宅ながら一人一室でした。
3畳の畳敷きキッチンと6畳の和室。
玄関は1階ですが部屋は2階。
玄関に入ればすぐ内階段の部屋。
階段壁面がアウターやレインコートのクローゼット。

お風呂は付いてませんがトイレ完備。

窓を開ければすぐ線路。
このために家賃が安かったのでしょう。
他の奨学生に比べれば広い部屋。
他の奨学生は、電車の騒音を気にしてか
4畳半一間、トイレは共用の部屋に3人が。

慣れてしまえば電車の通過音など全く気にならなくなります。
部屋代は当然ながら、光熱費もただでした。
窓用クーラーと電気ストーブと電気ポットと小さな冷蔵庫とテレビ
最小限の家電を設置して快適極まりなしの生活でした。

食事は、外食若しくは、カップ麺類かほか弁。
のり弁&カップ麺がど定番でした。

日常の足は、配達に使用するカブを占有。
ガソリン代も気にすることなく使いまくりです。

奨学生は勤務する販売店により、運・不運はあるでしょう。
私は幸運な奨学生だったのかも知れません。
でも、同じ販売店で同時期にスタートし、
同じ大学に通う奨学生は2年で辞めてしまいました。

感じ方は人それぞれなのでしょう。
私は幸運と感じてもそうとは思えない人もいるんです。

2年目に新たに3人の奨学生が入ってきました。
この3人は専門学校生で2年間全員挫折することなく一緒に卒業しました。

ネットに出回る評判ばかりではない事もお知り置き下さい。

でも、簡単ではありませんよ。
読めば簡単かもと感じられるでしょうが
おいおい苦労をお伝えさせていただきます。

~ To be continued ~

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